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プロフィール
そえんじ

2020年08月05日

失うことは得ることなのかもしれない

幼稚園くらいの頃、右肘を折りました。複雑骨折。
治療がうまいこといかず転院してから大手術となりました。

手術後は指が曲がったまま。そして肘も曲がったままでした。

小学校低学年の時は巨人の星の大リーグ養成ギブスのような器具を右手につけて指を伸ばしていきました。

毎日のリハビリで3年後には左手の指と変わらないくらい指を動かせるようになりました。

右肘は倍の6年くらいかかりましたがそこまで不自由だと感じなくなるくらい伸びるようになりました。

といっても体育のラジオ体操なんかで肘をピンと伸ばさなきゃいけないときによく怒られたもんです。

先生「そえじま!肘を伸ばせいうとるやろ!」
そえんじ「伸びないんです」

先生「あっ、ごめん」
毎年一度はある会話でした。

その影響か今でも握力は左の方が20程強い。
重いものは力がないので野球は右投げでしたがドッチボールは左投げでした。

ソフトボールは高校から右投げ。中学までは左投げでした。

3年間右手が使えなかったことから全てを左手を使ってしていました。

三年後しやすいのは右手に戻しました。
その影響で今でも鉛筆は右。お箸は左です。

きっと親は右手が使えなくなるんじゃないかと心配してくれたんだと思います。
子供は、あるもの満足の天才だといいます。他人と比べてどうして私はできないんだろう。

なんて思い出すのは中学生くらいからだったような。
右肘の動かないことを不便だとはおもってなかったと思います。

むしろ、あっ、左手でやったらええやん!と楽観的でした。
そしてこの頃左手を使ったことによって右脳が発達したのかなとおもっています。

もし、右肘を複雑骨折していなかったら作詞作曲できてなかったかもしれません。

どこかが不自由になるということはひょっとするとどこかが自由になる。

僕の知り合いの人で目を失明してから第6感がすぐれてその人のいろんなことが見えてしまうようになった人がいます。

僕もおそろしいほど言ってもないことを当てられたことが。

もし失明していなかったらそんな第6感はなかったのかもしれません。

何かを失うということは何か違うものを得ることができるのかもしれません。

そういえば僕も髪の毛がなくなってからいろんな仕事や縁をもらった気がします。

もしもハゲていなかったらこのブログを読んでくれているあなたにであってなかったかもしれません。

いや、髪の毛がなかったからこそ今の人格ができたのかも。

となると嫁さんも息子もハゲてたおかげやがな!




  


Posted by そえんじ at 22:42Comments(0)